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会津磐梯山の大神
磐椅神社再建物語

磐梯山頂からふもとの現在の場所に遷座されたと伝わる磐椅神社は、縁起式内社であり会津磐梯山の大神として1000年以上、信仰されてきました。しかし戦後から、ほんの40年前ほど前までは荒れた境内地にひっそりと社があるだけで、お正月ぐらいしか参拝者が訪れない場所だったことはあまり知られていません。そこから現在、県内外から多くの方が参拝するようになるまでの再建物語を紹介したいと思います。

荒れた社殿と境内

ここに鳥居杉が2本あった昭和50年代ごろの写真が残っています。磐椅神社の周囲は草木が生い茂り、荒れていました。18代続く神職家系の伊東家が、磐椅神社を受け持つことになったのは1976(昭和51)年からです。 16代目の伊東政應が宮司として引き受けたものの、社殿は雨漏りし畳はぼろぼろ。中は荒れ、まともな神具はほとんど残っておりませんでした。さらに氏子の皆さんは、神社を引き受けた時期にはすでに全員離れていて、神社を支える人は誰もいません。つまり、誰からも見放されてしまっていたのです。政應はそこから、本殿と拝殿をつなぐ幣殿を作り、畳を全て張り替え、境内に社務所を建てました。  政應は当時、大小50社ほど神社を兼務しており、磐椅神社だけを守るわけにはいかず、後を継いだ17代目の伊東政則がサラリーマンを辞め、神職の資格を取得したのが1986(昭和61)年。宮司として磐椅神社復興へ本格的な取り組みをスタートしました。

 

猪苗代町史歴史編(昭和57年発行)より引用

宮司自ら神社整備

氏子はいないため当然誰の助けも借りることはできません。当時、参拝者は月に一人も来ない状態で、磐椅神社で修繕費用を捻出することはできません。そこで政則は妻と二人三脚で、ほぼ手作業で境内の土木工事を始めました。工業高校出身で民間企業勤務の経験を持つ政則は自ら図面を引き、作れるものは何でも自作しました。賽銭箱、案(三方などを乗せる台)、地鎮祭用の神具一式など。神社の土台となる石垣も崩れていたため、石を積み直し、セメントをこねて直しました。

赤い鳥居も手作り

一番大きなものは、現在の社殿前に立つ真っ赤な鳥居。水道工事の経験もある政則が水道用の塩化ビニールのパイプを利用し、耐震性のある鳥居を自力で制作。軽トラックを使って鳥居を引っ張り上げて自力で建てました。車の御祈とうができるように、石橋から拝殿までの車道も、宮司自ら石段を積み直し、土を掘って整備しました。

手水は地下から自噴

伊佐須美神社(会津美里町)で修行した政則は「神社には光、音、水が必要」との前宮司の故轡田勝暎氏の教えを実行しました。神社は毎日開けるようにし、明かりを付けるぼんぼり、大提灯を設置する提灯掛けを制作し、皮が破けた和太鼓を張り直しました。水を求めて1988(昭和63)年、境内でボーリング工事をすると、なんと地下23メートルから水が自噴しました。そこから水道管を埋めて、手水を設置。いまも水は湧き続け、磐梯山宝の水として多くの人に親しまれています。色がはげ落ちていた神輿も自ら修復し、猪苗代町の磐梯まつりでお披露目することもできました。

桜が知られ参拝者増

1990年代に入ると会津五桜に注目が集まり、大鹿桜を見に来る参拝者が増えました。春になると、大型バスで団体の方が大勢、参拝に訪れました。ここで鳥居杉が2本あったころの写真をもう一度見てください。右側の杉の上の方に、えんむすび桜が生えていることにお気づきでしょうか。40年以上、何度も雪の重みで枝を折られて短くなってもまた生長し、今もきれいな花を咲かせてくれます。この2つの桜をきっかけに、磐椅神社の由緒、ご神徳が徐々に知られるようになりましたが、そこで参拝者を迎える環境を整備できたのは、現在の宮司夫婦の活動があったからこそです。 いまでは毎年訪れてくれる方が増え、いろいろな出会いが生まれました。一人悩みを抱えて神社を訪れた女性に宮司夫婦が声をかけ、そこから立ち直り、いまでは成長した我が子と一緒に参拝に来てくれます。東日本大震災後、会津地方に非難され、古里の復興を願い、毎年のように祈願をするご夫婦もいます。このように訪れてる参拝者のために、磐椅神社を守り続けていきたいと思っています。

大鹿桜の樹勢回復へ

磐椅神社の再建はまだ途中です。まずは、老木となった大鹿桜に栄養を与えるための樹勢回復工事や支柱の修復などに取り組みます。一千前に天皇の勅使が植えたとされる大鹿桜ですが、現在花を咲かせてる子孫の桜も老木で、一部は壊死しており、このままでは花は咲かずに枯れてしまうと樹木医の診断を受けております。 磐椅神社を崇敬してくださる崇敬者の皆様と共に、樹勢回復工事をしたいと思っております。7月21日から8月31日までレディーフォーにてクラウドファンディングに挑戦しました。全国の皆様のおかげで、目標金額を大きく上回り300万円以上のご支援が集まりました。本当にありがとうございます。2023年11月から数年に渡り、工事を進めているところです。

クラウドファウンディングページ

大鹿桜だけでなく、老朽化した拝殿の屋根の葺き替え、参道の整備など課題は多く残っております。しかし、歴史ある磐椅神社をこれからも守っていくのが17代目の宮司からいずれ受け継ぐ18代目の私に与えられた使命と感じております。これからも、多くの皆さまから信仰を集め、親しみが持てる神社にしていきます。

 

磐椅神社宮司 伊東政則(17代) 禰宜 伊東隆裕(18代)